関西学院大学体育会は、42部で構成され、2019年7年月時点で約2,500名の会員を擁しています。
部は庭球、硬式野球、サッカー、陸上競技、ラグビー、相撲、ボクシング、スキー競技、アイスホッケー、スケート、山岳、水上競技、卓球、ソフトテニス、馬術、ヨット、バレーボール、バスケットボール、レスリング、アメリカンフットボール、ハンドボール、拳法、体操、ボート、準硬式野球、空手道、フェンシング、柔道、剣道、バドミントン、ゴルフ、航空、陸上ホッケー、自動車、弓道、重量挙、射撃、ワンダーフォーゲル、洋弓、カヌー、合気道、ラクロスが活動しています。
“NOBLE STUBBORNNESS” はもともと1920年に生まれた硬式庭球部の標語です。
“stubborn” という言葉には、「頑固な」「強情な」という軽蔑的な意味と、「断固とした」「不屈の」「手ごわい」などの良い意味があり、ノーブル・スタボネスの標語は「高貴な粘り」「品位ある不屈の精神」「高尚なるねばり強さ」「気品の高い根性」などと訳されながら関西学院大学体育会全体のモットーとなりました。
1977年3月、総合体育館竣工の日、体育会と体育会OB倶楽部(現、体育会同窓倶楽部)は “NOBLE STUBBORNNESS” の記念碑を設置しています。
体育会の歴史は1912年6月に発足した神学部・高等学部からなる学生会(関西学院専門学生会、後の専門部学生会)の運動部(武芸会、庭球会、野球会、端艇会)に始まり、大正半ば以降に飛躍的発展をとげました。しかし、37年に日中戦争が始まり、国際情勢も悪化し、40年12月には太平洋戦争が勃発して、戦争遂行の中で課外活動は縮小されていきました。戦時体制強化の中で学生会は文部省の指令で41年2月に報国団に改組され、従来の運動部は鍛練部(競技科・武道科)となりました。
戦後、45年11月に報国団は解散し、学生会が再結成(当時、体育総部)され、46年運動総部となりました。48年の新制大学開設で学生数が増え、運動総部の多くが全国制覇や関西制覇を達成し、デビス・カップ選手やオリンピック選手を輩出してきました。
1957年、運動総部は体育会に改称しましたが、参加人員は60年の1,523名を頂点に減少し70年に940名になり、各部の成績も低迷して全国制覇は60年の6から66年は1に、関西制覇も60年の20から70年は5に減少しました。
体育会は78年から関西大学体育会と総合関関戦を開催して低迷打開をはかり、また商学部スポーツ推薦入学試験と社会学部自己推薦入学試験(97年度からは特別選抜入学試験)が92年度に始まり、文学部スポーツ推薦入学試験も93年度、法学部では指定校スポーツ推薦入試制度導入が98年度に始まるなど、全学部でスポーツ推薦入試が導入され、体育会各部の全日本および世界規模での活躍が再び目立つようになった。2012年10月には体育会100周年行事である関西学院スポーツアソシエーション100周年が開催されました。
体育会規則については以下からダウンロードしてください。